日常:SHIGOTABI / d47食堂 / 富士吉田「地域産業と自然と暮らし」トークセッション参加レポート

今住んでいる場所に地を構えてはや20年以上が経つ。
今の自分の生活って他の地域と比べてどうなんだろう?

都会的? 田舎的? 人口的? 自然派?

そんな好奇心がふつふつと湧く。
同じ県内だが、気候、方言、慣習などが少しずつ違う富士吉田市に興味をわく。
そんなささやかな疑問が解決できるかと思って地元民ながらSIGOTABIのイベントに参加してみた。

SHIGOTABI / d47食堂 / 富士吉田「地域産業と自然と暮らし」トークセッション概要

SARUYA ANNEX

日 時:2020年11月28日(土)-11月29日(日)
参加費:定価10,000円→6,500円(GoToトラベル対象済価格)
会 場:SARUYA ANNEX
予 定:14:30-16:00 SHIGOTABIトーク「移住先としての富士吉田の魅力」
    16:00-18:30 自由行動(工場見学)
    18:30-20:00 食事会@大鴈丸

※このプログラムは、富士吉田で“旅するように働く”暮らしのあり方を提案する「SHIGOTABI」の一環
※現地集合・現地解散

今回司会をしていた山梨県富士吉田市 産業観光部 富士山課 勝俣 美香氏。
地元で作られた洋服の全身コーディネートで登場。オサレ!

SHIGOTABI / d47食堂 / 富士吉田「地域産業と自然と暮らし」トークセッションの内容

左から
登壇者コーディネーター: 重松 久惠氏 (D&DEPARTMENT コーディネーター / 中小企業診断士)
ゲスト:相馬 夕輝氏(D&DEPARTMENT 食部門ディレクター)
    藤枝 大裕氏(事業プロデューサー ハタオリマチ)
    坂本 大祐氏(クリエイティブディレクター、合同会社オフィスキャンプ 代表社員)

続いてゲストに対談形式で移住について感じたことを話してもらった。

1 別の場所で暮らすきっかけ

・15年前は移住という言葉がなかった。→引越し(都落ち)
・移住先に知り合いがいたのもポイント
・根を生やさない生き方もあることを知った

2 移住先の地域で仕事をすること

・都市は専門的。地方ではクリエイティブ全般をみる(写真・コピー・パッケージ・店デザイン など)
・アウトプットを伴わない相談事が多い
・ローカルならでは制約は多い(人付き合い、根回し 商工会議所と市役所の違い)
・予算を把握する(行政の次年度の予算は前年年度末に決められる)
・小さなつながりをつくって次に繋げる
・行政のキーパンソンを捕まえてハートを捕まえる
・役職が偉い人に説明できる人が必要(通訳者)

3 自然のあるところでの暮らしの魅力

・コロナ禍で移住が再燃
・死が日常的
・暮らす住空間は気持ちの余裕に直結している

4 富士吉田市の印象

・アートな本屋が印象的
・トタンでできたバーがある
・癖のある人が多い印象
・富士吉田市は若者のなにかやれてる感が強い
・クレイジーでも生きていけるが品のある街
・イベントをしやすい街

いろいろ聞いていた中で一番驚いたトークは

「漁業の町は狩猟文化が根付いているので育てる意識が薄い」

今住んでいる土地は海なし県なのでこれは新たな発見だった。
今回一番のヒットしたポイント。

WATANABE TEXTILE(渡邊織物)見学

WATANABE TEXTILE(渡邊織物)見学

トークが終わり、食事の時間まで少し間があったので、富士吉田市職員の計らいでワタナベテキスタイルを見学することに。

WATANABE TEXTILE(渡邊織物)ってどんなとこ?

スーツの裏側にある高級産毛のキュプラをつくっている創業70年のテキスタイル工場。
現在、父と二人で切り盛りしている。
アーキテクト、フォト、アートをうまくつなげ、モノを作り出すのが好きな3代目である渡辺竜康氏。

WATANABE TEXTILE(渡邊織物)の工場

WATANABE TEXTILE(渡邊織物)の工場

普段は24時間稼働していて、年に数回、機械を止めるときがある。
今回、そのタイミングで見学できた。
この界隈は織物工場の町。周りがみんな織物工場なので音は特に気にならないそう。

WATANABE TEXTILE(渡邊織物)の工場の動画

現場について色々と話を伺う。


・毎月第3土曜に見学をさせてもらえるフェスをこの街の界隈で開いているとのこと。

・裏地にオシャレする都会から数多く依頼。
・軽くて質の良いものでないと買いにこないので日々精進。
・現在、海外の有名ブランドとの取引も。
・小ロットから受付。
・技術力を駆使してセンスのよい学生とのコラボをしてブランド化している。

WATANABE TEXTILE(渡邊織物)のギャラリー兼ショップ

工場の隣に自分で設計したギャラリー兼ショップをみさせてもらうことに。
一つの世界観があって刺激に。

富士吉田市からみる富士山

見学を終えると富士山に夕焼けが止まっていた。

御師(おんし)のいえ・大雁丸で「富士吉田を食べる会」開催

御師料理を始め、富士吉田の文化を表現する食事をいただくために食事会場「御師(おんし)のいえ・大雁丸」に移動。

大雁丸(おおがんまる)ってどんな場所?

富士吉田市にある大雁丸(おおがんまる)の看板

約400年前に建てられた御師の家。

御師とは「御祈祷師」の略で、登山者に自宅を宿として提供し、富士山参拝の祈りの食事である御師料理を食べたり、身を清め、登頂前に身体を休めるための宿場のことだ。

富士山信仰が活発だった時期は86軒あったが、今はもう数軒しかない。
日本に数件しかない非常に珍しい苗字でもある。

「ugaku wood works」と「histuki guest house & cafe

現在はリノベーションをして持続させている「大雁丸」。

また、新たなワクワクを生まれるようにと「ugaku wood works」「histuki guest house & cafe」を併せて活動している。

「富士吉田を食べる会」の会場

「富士吉田を食べる会」はD&DEPARTMENTによる47都道府県の食文化の特徴を感じる定食屋「d47食堂」による企画。

d47食堂は「d design travel」本で出会った方々から仕入れた四季折々の食材を使い、47都道府県の「食」をテーマに、生産者や器の作り手の想いを伝え「おいしく正しい日本のご飯」を提供している。

d47食堂の記事はこちら↓

大雁丸の食事部屋

畳の部屋に低いテーブル。
地元のリネンメーカー「テンジンファクトリー」を使用。

「富士吉田を食べる会」の献立

富士山麓の湧き水

富士山麓の湧き水

不動湯という湯治に最適な温泉地よりわざわざ汲んできた富士の湧き水。
口あたりが柔らかく、すっきりしたおいしい水だ。
美食倶楽部の海原雄山になった気分。

馬刺しと富士山麓の野草

馬刺しと富士山麓の野草

馬を登山者の荷あげで使っていた歴史があり、山梨の郷土食としても有名。
通常、山梨県民は醤油とニンニクで食するが、今回はイブキジャコウソウでの味付け。
クセもなくグレープフルーツのような爽やかな酸味。だいぶ上品な味わいになっていた。

御師(おんし)料理

御師(おんし)料理

御師料理は7月1日の山開きの日に海と山の幸を食べるのが特徴。

順に…
ひじきとジャガイモの煮物、きんぴらゴボウ、かぼちゃの甘酢づけ、昆布の酢づけ

吉田のうどん2種

富士吉田のお母さんたちによる手打ちしたご馳走うどん

大きい入れ物は富士吉田のお母さんたちによる手打ちしたご馳走うどん。
もうひとつは普通の少し柔らかいうどん。
吉田のうどんは一般的のうどんに比べると数倍強いコシが特徴(固いともいう)。

火山灰地質の土壌で米が作れない土地柄も影響してか小麦が主食。
そのため、うどん文化が活性。富士吉田市には80軒以上のうどん屋がある。
(大半がのれんのない自宅を改装した店で地元民ですらたどり着くのが大変www)

一部の店舗でうどんのサブスクリクションも始まった。

うどん(小麦粉)を打てないと嫁にいけなかった時代があり、女性には厳しい土地風習が多いと感じた。

吉田のうどん

具は、茹でキャベツ、馬肉、しいたけ、油揚げとシンプルなもの。全て地物。
すりだねは南蛮味噌味噌ととうがらし、ゴマ、山椒を使用。

各家庭によってそれぞれ違う。

甘味

地元味噌「丸甲味噌」を練りこんだケーキと富士吉田市に移住した方が育てたクロモジのハーブティー。

地元味噌「丸甲味噌」を練りこんだケーキ。
白あんの生クリームが超おいしかった。

お茶は移住した方の育てたクロモジのハーブティー。
富士山の火山灰を含んだ肥沃な土壌と軟水で綺麗な水で育てられたもの。
リッツ・カールトンの最上階のメニューの一つに採用されている。

お酒

山梨県産のビール、ワインと日本酒が用意されていた。

ビール
ふじやまビール / ピルスナー、ヴァイツェン

ワイン
キザンワイナリーの赤白ワイン。
白は甲州、赤はブラッククイーン種。

日本酒
七賢 / 純米吟醸一番搾り
旦 /純米 

富士吉田の食文化を楽しんだ後、それぞれの宿に戻った。

今回泊まった宿の記事はこちら↓

富士吉田「地域産業と自然と暮らし」のトークセッションのまとめ

いろんなひとの話を聞いて参考になる部分がたくさん発見。

時間の使い方が面白いと思った。
改めて自分らしい暮らし方を今一度考えてみる良い機会だった。

おまけ:新世界乾杯通り

新世界乾杯通りのちょうちん

SARUYAから徒歩数分にある飲み屋街。

1990年代は「ガチャマン」といって機織り機を動かすと1万円もうけたといわれるくらいの時代があってとても賑わっていたそうだ。

しかし、ライフスタイルの変化や不況で、どんどん斜陽に。
そこで活気を取り戻すべく、リノベーションをして再生させた。

今風な感じで観光客でも気軽に入りやすいお店と地元民が好むマニアックな風情のコントラストが面白い。

新世界乾杯通りの店舗

※2020年12月現在 個人の感想

この記事を書いた人

tiimo

生粋のめんどくさがりやのため、ズボラな家事な無印良品好きなヲッさん。 ストレスフリー生活したいがために整理収納アドバイザー 1級取得。2017年4月より生活提案ブログ更新中。日本ワイン好き。広告デザイナー。ワイフと娘ちゃんの3人家族。